第375話/ヤクザくん22
家守に指示を出していたハブが、その同じ場所で獏木とはなしている。獏木はあのときに丑嶋に柱に頭を叩きつけられて血を出していたが、いまはピンピンしている。あれはなんの血だったのか・・・。
事務所から獏木の携帯に電話を転送していて、そこに熊倉から電話がかかってきたのだ。じぶんの都合のいいようにしようとたくらんでいる熊倉が行動に出始めたのである。まずはハブに電話して大久保プラザホテルに呼び出しである。具体的なことはまだ話していない。大変なことをしてくれた、裏はとれてる、という具合である。これは、無視、できないのかな。
家守の加納への拷問は続く。もともとは柄崎の場所を聞き出すためにさらったが、ハブの指示で丑嶋を引っ張り出す作戦に変更となった。じっさい家守は電話をかけさせたのだが、男前・加納は命乞いはせず、ただ妻と子だけは守ってくれというだけであった。丑嶋もそれをくんで助けには出てこない。要するに失敗である。
ハブからの指示があったのか、それとも家守の独断かわからないが、利用価値がなくなったとして、拷問は家守の趣味になっている。もう殺す気ではいるようなので、ハブからの指示があったのかも。それとも、「どちらにしても死ぬ」という加納の決意のことばを聞いて、なにかを引き出す目的での拷問はもう無意味、という判断になったのかもしれない。
次なる拷問はドライヤーを口につっこむというものだ。ちょっと想像もしたくないなあ。いったいどういう状態になるんだろ。
家守は、いまうちの若いのが加納の奥さんを迎えに行っているという。奥さんにも同じことをしてやるから、どのくらい苦しいかよく味わっておけと、じつに家守らしいことをいうのだった。しかし、これはどうもうそくさい。まずだいたい、ハブ組の若い衆というのがいままでにいちども登場していない。最上とかは全員この場にいる。そして、もしそういうのがまだいたとしても、家守が指示を出している描写がない。奥さんが自宅を出てすぐ家守は加納を襲ったので、それから彼らはずっといっしょにいるはずである。もし加納のいるそばで電話をしたのであれば、こういう言い方にはならないし、むしろその電話じたいを拷問の一環とするだろう。そしてそれも含めて、家守が加納のそばを離れてこっそり電話をする理由もない。たぶんこれは、そうやって加納をいじめていい気分を味わっているというだけのことだろう。
ただ、加納を殺すつもりではあるらしい。拷問動画と死体を丑嶋に贈りつけるという。その動画は、マサルが指をかみながら、なにかに耐えるように撮影しているのだった。
ハブと獏木がホテルに到着した。珍しい、ハブと獏木のふつうの会話だ。相手は敵対しているヤクザものである。大勢のひとがいるホテルのロビーとはいっても、なにがあるかわからない。獏木は、じぶんが盾になるから、うしろを歩いてくれませんかとハブにいう。しかしハブは取り合わず、前だろうが後ろだろうが撃たれるときは撃たれると、なにか達観した物言いである。そして、遠めに熊倉たちをみつけて「あいつだ、いたぞ」などと獏木にいっている。井森・家守のいやな感じしか目に入らずにいたが、ハブと獏木の関係は悪くない。ふつうに親分・子分しているのだ。
さて、いよいよハブと熊倉の対面である。熊倉の横にはスキンヘッドの男がひとり立っている。護衛だろう。ハブには獏木がついているので、ちょうど2対1になった。ハブは近くに獏木しかいなかったというのがあるけど、熊倉はやはりハブをすごくなめている。ハブだって、丑嶋ひとりをさらうのに3人で出かけたのだ。「そういう事態」にはならないと考えているとしかおもえない。このスキンヘッドの男がプロの殺し屋とかだったりしたらまだわかるけど。
ハブは単刀直入に用件はなんだと問う。獏木とスキンヘッドが静かににらみあうなか、熊倉はやぶから棒に1億もってこいとハブにいう。とりあえずは鳶田が撃たれた件についての侘びということになるだろうか。ハブの側からいえば、じぶんは丑嶋に殴られたぶんをとりかえすために出たのだが、むしろそちらが邪魔してきたのでこういう事態になった、というところだろうが、そうやって「そもそも」を探っていってもこういうことははじまらない。滑皮がとりあえずは「そもそも」であるところの丑嶋について特に触れず、ハブとの件を「自分の問題」に繰り上げているのも、そういう思考法によるものだろう。とにかく重要なことは、いま目前にある出来事のほうなのである。
だからハブは「知らねーな」としかいわない。証拠は?と問われ、熊倉は「ヤクザものに証拠なんかいるかよ」というよくわからないことをいう。これもまあ、そういう思考法の変形だろう。特に熊倉のようなタイプでは、その事態でじぶんがどれだけ得をするか、というふうにしか考えないので、よけいに「そもそも」がどうでもいいのである。
どこまで本当なのか不明だが、すでに若い衆がハブの本家をいつでも襲撃できるように待機しているという。うそくさいけど、猪背組はふつうに規模がでかそうだし、そういうことも可能かもしれない。じぶんたちはケンカじゃ引かない、じぶんもいつまで抑えられるかわからないと、なんだか定型文みたいな脅しかたである。要するに、本家が襲われるような事態にならないようせきとめている最後の砦がじぶんであると、そういうはなしである。そうなりたくなければ、言うとおりにしろと。
熊倉は続ける。幸い鳶田は生きているし、警察にもばれていない。いまならなかったことにできると。
それを聞いてハブの表情が変わる。しかし熊倉は全然そのことに気づかない。それどころか、今回のはなしはじぶんのところで止めてあり、上には伝えていないという余計なことまで付け加えてしまう。
ここで熊倉は丑嶋をはなしに出す。金は、鳶田についての詫びや見舞金としてではなく、丑嶋と交換ということでどうかと。ハブがそれを整理する。じぶんたちのあいだにはなにもなかった、ただ熊倉とハブのあいだで丑嶋を売買するだけ、そういうことかと。
ハブはとりあえず納得したふりをする。5000万円ならあるが(こないだ強盗したし)、今すぐ1億はむりだ。残りは丑嶋と引き換えに払うと。熊倉もそれで納得する。熊倉は内心、やはりハブを「経済ヤクザ」とバカにしている。じぶんがカマせばちょろいものだと。ふーむ、だめだこりゃ。
ハブが金庫まで案内すると称して熊倉を連れて行くのはどこかの廃墟である。いつもの拷問倉庫と似ているようではあるが、ちがうっぽい。熊倉はのんきに、こんなところに現金があるのかとかいっている。
もちろんあるわけない。熊倉の護衛が後頭部から血を噴出し、ものもいわずにぶっ倒れる。ハブが射殺したのである。
つづく。
対面したその週にいきなり熊倉の命の危機である。
今回の熊倉の見立ての甘さは相当なものだが、熊倉も常にここまで無防備ということはなかっただろう。丑嶋にやられっぱなしというハブの表面の情報だけを鵜呑みにして、ヤクザのプライドとか、じぶんならどうするかとかいうことをぜんぜん考えてこなかった結果、彼のなかでほんとうにハブがヘタレのイメージとして完成してしまったのだ。だから、ハブがなにをいっても、その裏の意味をくみとることができない。納得したふりもそのまま納得として受け止めてしまう。なぜなら、熊倉のなかではハブは「経済ヤクザ」だから。
そして、まさにこういうことが、ハブが丑嶋にこだわる動機でもある。熊倉がハブをなめきっているのは「丑嶋に反撃しなかったから」である、ということは、そのことによって同様のなめた態度をとるものが多数出現しても不思議ではない。熊倉はみずからの生命をかけて「面子を損なったヤクザ」がどういうあつかいを受けるかをわたしたちに示してくれているわけである。いろんな意味でハブが熊倉を許すわけがないのだ。
ハブは熊倉の「なかったことにできる」ということばを受けて表情を変えている。熊倉はそれを「勘繰っている」というふうに受け取った。「ほんとかよ・・・ほんとになかったことにできるのか?」と、ハブは考えていると熊倉は考えたのである。なぜなら、熊倉に見えているハブのイメージは銭勘定が得意なヘタレの経済ヤクザだからである。
しかしもちろん、ハブはそのように考えているわけではない。細かな思考はもちろんまだわからないが、とりあえず熊倉のいいようにさせるつもりはないだろう。
ハブは熊倉の言動のどのぶぶんに反応したのだろうか。警察にばれていない、またそのあとの、猪背の上層部に伝えていないということにかんしていえば、ハブに熊倉に銃を向けさせるきっかけにはなったかもしれない。とりあえず熊倉を始末してしまえば、あとはあの現場にいた、どうせ殺すつもりの丑嶋を含めたものたちだけが問題であることになるのだから。
鳶田が生きているということについてはどうだろう。あの事件の目撃者はたくさんいる。ハブがひとを殺したかどうかを気にするはずもなく、また鳶田が生きていようと死んでいようと、万が一警察沙汰になったとき、刑期はともかくとしてもじぶんが捕まることは疑いない。ただ、警察にはもれていないということはけっこう重要だろう。たしかに、あるぶぶんでハブは、あの一件を「なかったこと」にしたいかもしれない。しかしそれは、熊倉の考えるように、熊倉の手を借りて、金を積んでそうしたいということではない。なかったことにしたいけど、してもらいたいわけではない。熊倉は、たぶんあたまのケガも関係しているとおもうが、金で物事を解決するという典型的なヤクザの思考法がより強くなってしまっている。たぶんそういうのもあってこんなまぬけな提案をするのだろう。熊倉的な等価交換の原理がどこでも普遍的に通用するなら、そもそもヤクザがこんなに面子にこだわることもない。いつかも書いたように、面子とは「他者の評価する私」ということである。かんたんにコントロールできるものではないし、ブランド・イメージのように、損なわれたぶん取り戻すことは最初に積み立てるより難しい。単純にいって、ハブが丑嶋に殴られたぶんをとりかえすためにハブが丑嶋を殴っても、面子は取り戻せないわけである。そこをたぶん熊倉はわかっていない。あるいは、忘れてしまった。「丑嶋に殴られたじぶん」という過去を塗り替えるためには、それを圧倒するような、そのはなしがうそくさくなるようなエピソードが必要なのである。だからハブは丑嶋を殺そうとしている。ハブは丑嶋との件や滑皮との件を、ある意味では「なかったこと」にしたいのかもしれないが、それは、等価交換の原理で、等価のものをそこに埋め込むことで行われるのではないのだ。それはそれとしてもう変えることができないのである。
そしてまた、熊倉の「なかったことにしてやる」的な発言は、熊倉がハブを「なかったことにしようとしているヤクザ」と見做していることを示す。それはつまり、なんらかの方法によって、過去の失敗を埋めることは可能であると考える熊倉的思考法である。熊倉はまたハブを経済ヤクザとも呼ぶ。「経済」とはエコノミーの訳語であり、広くお金のやりとり全般を指すことばである。つまり、物事を量に換算して貨幣として流通させるその機能に基づくやりとり、これにしたがうものとしてハブを想定しているのである。熊倉は「経済ヤクザ」ということばをくちにはしなかったが、その言動から、じぶんがハブを経済ヤクザと見做しているということを示してしまっているのである。
僕にとってここのところが若干意外だったのだが、ハブも、むしろそうやってひとを量に換算するタイプのヤクザにおもえていたのだ。というのは、ヤクザ像について、まず滑皮があり、それに対するものとして、「滑皮的ではないもの」としてハブを想定してしまっていたからだろう。滑皮はヤクザ業界の現状の反動として、「かっこいい兄貴」を目指す。誰も彼もが自己利益を追究していたのでは、組織は滅びてしまう。もともと無法者の集団である、そこにある種の秩序を加えるために、彼らは親子関係の幻想を持ち込んできた。子が親を見て学ぶように、子分のものたちにとってのロールモデルとしてふるまわないと、彼らは兄貴にあこがれないし、あこがれがなければ、ヤクザにとって世知辛いいまの状況では若いものも入ってこない。これはべつにヤクザ業界に限らない。「こんな大人になりたい」というモデルがなければ、子供はいつまでたっても子供のままであり、世界は滅びてしまう。自己利益の追究は、ある意味その子供たちの抜け道である。それは、多くのひとたちは自己利益のためだけに生きているわけではない、という前提ありきで成立している動機なのである。この世の成員すべてがそういう行動に出れば、ホッブズが社会契約以前の人間の状態として想定した自然状態、つまり普遍闘争に陥ることになる。そうなると、もっともちからを、端的にいって腕力のあるものがすべての利益を独占することになり、当の自己利益が追究できなくなる。その強者にしたところで、そうした自然状態に同意してしまっているのだから、いつか必ず次の強者に駆逐される運命である。自己利益の追究とは、「自己利益追究のためだけに生きているわけではない大人」たちの庇護なしには決して成立しないのである。
ヤクザくんでは滑皮とハブが明らかに対立的に描かれているので、そうした描写もあり、ハブはそうした「大人」的位置とは逆ではないかと、勝手に推測してきたわけである。しかし今回の獏木との描写も含めると、そう単純でもないのかなとおもえてくるのだ。たしかに、ハブは、ちょうど自然状態時の強者のようにふるまって、井森や家守を屈服させてきた。それは、ひとを量として換算する熊倉的態度と馴染み深い。しかし今回わかったように、ハブは単純に等価交換で事態を把握しているわけではないのだし、当然経済ヤクザでもない。そして獏木との会話からは明らかにある種の親密さが感じられる。獏木はふつうにハブを、ちょうど梶尾たちが滑皮をそうとらえているように、「かっこいい兄貴」と考えているのではないか(髪形も似てるし)。
そう考えて振り返ってみて、あるいはハブを暴君に仕立て上げたのは井森家守なのではないかと。まず、いまのヤクザ業界の不況もあって、井森家守には日常的に不満がたまっていた。そして肝心なときにハブは刑務所に入っており、丑嶋に反撃をしない。ことはそう単純ではない。カウカウにはケツモチがおり、まさにいまそうなっているように、行動に出れば面倒なことになる。だからハブはハブで考えがあったとおもうのだが、しかしイモリヤモリにはそう見えなかった。そうして、信頼が失われた。重要なのは、そのことによって、つまり井森たちからの「かっこいい兄貴」目線がなくなったことによって、げんにハブが「かっこいい兄貴」ではなくなってしまったということなのである。ヤクザは面子の生き物だという。「他者の評価する私」が、自己イメージそのものなのである。だから、イモリヤモリがハブを「かっこわるい兄貴」と評価するのであれば、ハブは彼らの前で「かっこわるい兄貴」になってしまうのである。おもえばハブがカウカウ皆殺し宣言をしたのは、井森たちが不穏な行動をとっているとわかったところだった。丑嶋ひとりの命ではたりない、全員殺さないと済まない、とするハブの意識は、まさに井森たちがそうした行動に出てしまうということ事態にもかかっていたのである。
その意味でいうと、獏木はある意味滑皮の逆側ということになるかもしれない。そんな透徹した視野の持ち主とはおもえないが、壊れかけているじぶんたちの関係を見て、せめてじぶんだけでもハブをしっかり「かっこいい兄貴」として尊敬し、立て続けないと、ハブ組は崩壊すると、そのように直観しているのではないだろうか。
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